宮津(鶴賀)城跡・胸壁跡

細川藤孝(幽斎)・忠興が築城し、京極高広により再建された丹後地域を代表する近世城郭です

宮津城跡絵図

宮津城跡絵図中心部

胸壁跡

住所:宮津市鶴賀

位置:京都府遺跡マップ
標高:2m 比高差:0m

概要:大手川右岸の沖積平野に立地する近世城郭です。天正八年(1580)の細川藤孝(幽斎)・忠興の丹後入国以降に築城され、慶長五年(1600)関ヶ原合戦の前哨戦とされる田辺城籠城に際して、藤孝が自焼したとされています。その後、藩主となった京極高広により再建され、寛永二年(1625)に完成したと伝えられています。
 現在、地表面において宮津城跡の遺構はほとんどみられませんが、京極期以降の絵図が多く残り、本丸・二の丸・三の丸から構成される縄張りが分かります。これまでに15次にわたる発掘調査が実施され、絵図から想定されていた縄張りの実態が判明しつつあります。今後は現在の地割りや絵図との対比など、宮津城跡の変遷や曲輪を復元する総合的な検討していく必要が有ります。
 当城跡は、丹後地域の拠点的な城館として田辺城跡とともに機能しており、安土桃山時代から近世にかけての丹後地域の情勢を示す遺跡として重要な城館です。
 また、宮津藩に関連する遺構としては、胸壁跡があります。胸壁跡は、宮津から福知山に向かう普甲峠に慶応2年(1866)に築かれた関所跡で、枡形虎口、曲輪、礎石が完存します。遺構の残存状況も良好で、数少ない関所の遺構として重要です。

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