田辺城跡

丹後地域の中心的な城館で、関ヶ原合戦の前哨戦、田辺城籠城戦の舞台となりました

田辺城跡絵図

田辺城跡絵図中心部

住所:舞鶴市北田辺元本丸跡、南田辺ほか

位置:京都府遺跡マップ
標高:7m 比高:7m

概要:西舞鶴の平地中央に築かれた平城です。現在は城門の一部が市指定史跡として復元されていますが、城跡の大部分は市街地となっています。当城の明確な築城時期は定かではありませんが、天正9年(1581)に細川藤孝が館を築いたのが始まりとされています。細川氏が催した能会の記録によると、天正16年「田辺新殿」で能会が催されており、その頃には館がほぼ完成していたことが分かります。関ヶ原合戦の前哨戦として著名な田辺城籠城戦は当城を舞台に繰り広げられ、最終的に細川氏は当城を引き渡しています。戦後は、細川氏が豊前へ転封するまで丹後国における居城となっていたようです。細川氏の後は京極氏、牧野氏によって改修が行われつつ明治を向かえますが、明治7年に城跡の大半は取り壊されました。
 当城跡の発掘調査は継続的に実施され、城跡の実態が少しずつ明らかになってきています。発掘調査で明確に細川期と断定できる遺構はほとんど確認されていませんが、天守台石垣は細川期のものと考えられています。
 当城跡は、安土桃山時代から近世の丹後地域における拠点的な城館として宮津城跡とともに機能しており、当時の情勢を示す重要な城館です。

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