久美浜城跡

『御檀家帳』に「国の御奉行」伊賀殿と記載があり、久美浜の町並み成立の起点となった城館です

住所:京丹後市久美浜町久美浜古城山

位置:京都府遺跡マップ
標高:57m 比高:55m

概要:久美浜湾の南奧、久美浜市街地の西端に位置する丘陵、通称「古城山」に所在します。丘陵最高所から2方向に延びる尾根上に階段状に曲輪を配置しています。最高所の曲輪には複数の礎石が確認でき、礎石建物が存在していたことがわかります。

『丹後国御檀家帳』の記載からは、国の御奉行である伊賀氏が城主であったことがわかります。また近世地誌類には、松倉周防守、一色内宮少輔、清水治左衛の名が城主として記載されています。松倉周防守は、天正10年(1582)細川藤孝の丹後侵攻の時に討死したといいます。その後、細川氏は松井佐渡守康之を入部させています。戦後、細川忠興は豊前小倉城に転封となり、松井氏もこれに従って臼杵城に移ったことで、当城は廃城となりました。

当城跡は、織豊勢力である細川氏配下の松井氏が入っていますが、織豊系の築城技術は希薄です。そのため、伊賀氏段階の遺構が遺存しているといえます。府の文化的景観にも選定された久美浜の町並み成立の起点となった当城跡は、保存状況も良好で重要な城館です。

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