明治5年ごろ |
前田・土師(はぜ)両村の建てた「養賢校」(ようけんこう)と,川北村の建てた「川北校」があった。 |
22年 |
市村制にともない,前田・土師・川北をあわせて「雀部村」となった。それにより,「養賢校」と「川北校」をあわせて「雀部小学校」となった。「川北校」は分校となり1〜3年生が通い4年生は本校に通った。 |
23年 |
新しい雀部小学校の建築がはじまる。(児童数93名,工費672円97銭) |
26年 |
川北分校が火事で焼ける。(明治27年9月 川北分校が新しく建つ) |
37年 |
雀部・川北校舎をあわせて「雀部尋常(じんじょう)小学校」となる。(児童数117名) |
41年 |
「雀部尋常高等小学校」と校名を代える。(尋常科281名,高等科31名) |
昭和12年 |
福知山市に合併(がっぺい)し「福知山市立雀部尋常高等小学校」となる。
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16年 |
「福知山市立雀部国民学校」となる。(初等科326名,高等科78名) |
22年 |
新しい学校の制度(せいど)となり今の「福知山市立雀部小学校」となる。
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40年 |
理科教育「学研賞」を授与される。理科教育研究発表会 |
49年 |
雀部公園プールが完成する。(児童数409名) |
53年 |
新校舎全面改築竣工式(北校舎15教室) |
59年 |
西体育館竣工式 |
63年 |
「京都国体」式典に合唱隊として参加する。 |
平成 2年 |
京都府音楽教育研究会・市教育委員会指定「音楽教育発表会」を開催する。 |
3年 |
府指定教育実践推進校(1年次)・市教育委員会指定(2年次)として音楽教育発表会を開催する。 |
4年 |
府指定教育実践推進校(2年次)音楽研究発表会を開催する。 |
6年 |
音楽教育推進事業団”21世紀の会”全国発表会を開催する。 |
7年〜8年 |
府小・中学校教育実践パイロット校「音楽教育」(1年次・2年次)に指定される。 |
9年〜10年 |
市教育委員会指定「音楽教育発表校」になる。 |
12年 |
コンピュータ棟(コンピュータ室・多目的ホール)が完成する。 |
13年 |
府・市教育委員会指定「人権教育パイロット校」・市教育委員会指定「人権教育推進校」(〜14年)となる。 |
14年 | 基礎学力充実実践研究校(〜16年) |
15年 | 市教育委員会指定研究校 「基礎学力充実」 (〜16年) |
17年 | 市教育委員会指定研究校 「算数科」(〜18年) 京都府中丹教育局指定 「教育実践研究推進校」(〜19年度) 文部科学省指定 「学力向上拠点形成事業実践校」(〜19年度) |