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昭和9年9月21日、未曾有の台風が近畿地方を襲い、各地に被害をもたらし、死傷者も多数に上りました。

本校においても学校のシンボルの国旗掲揚塔と当時の約500名の生徒が学んでいた第2教館が倒壊したそうです。

しかし、教員の指示にしたがい、よく訓練された生徒は的確に避難し、1000名いた生徒教職員は1名も死傷せずに無事でした。

このエピソードを、当時入洛した文部大臣が賞賛しました。

そして国旗掲揚塔ほかを関係者の努力で再建したことを後世に伝えようとした記念碑です。

 
 
 
 

府立桃山高等学校創立50周年を記念して、第13期卒業生の佐野賢氏の製作によるもの記念碑として設置されました。

 
 
 
 

前段の災害時にも倒れた国旗掲揚塔ですが再建され、卒業生にとって戦前、戦後を通じて心の支えとしてのシンボルでした。

卒業集合写真でもこの掲揚塔をバックにしたものも多いです。

昭和53年、現在の4号館建設のために取り壊されました。

当時の校長先生は歴代の卒業生諸氏にこの撤去の了承を得るのに苦労したというエピソードがあります。

 
 
 
 

本校のシンボルでもある校門正面の築山に大きな組石があります。

よく見ると文字が刻まれており、旧制桃山中学校創立10周年を記念して、生徒、卒業生、教職員の寄付により築かれたことがわかります。

 
 
 
 

1号館と3号館にはさまれ美しく整備された「中庭」に四角に囲まれた「池」があります。

その池の周りに数個の石が配置されています。

この石は3号館の改築工事にともない平成5年から6年にかけた埋蔵物発掘調査で掘り起こされた、桃山時代の大名屋敷の柱の礎石です。

 余談ですが、この池に棲む鯉の名前は、建設当時のある時期の校長のファーストネームで○○くんと名づけられ、生徒たちが可愛がったというエピソードがあります。

鯉も校長先生も生徒に慕われていたのでしょう。

 
 
 
 

 桃山高校のPTA広報紙の名称を「きんがわら」と言います。

「金瓦(きんがわら)」は豊臣家・徳川家にとって、ここ京のみやこに位置し、大切な居城である伏見城を壮麗に飾ったであろう、金色に輝く屋根瓦のことです。

 本校の校舎工事の際にも、校舎跡地からも「きんがわら」は発掘されました。

桃山高校に集う生徒は遠く伏見桃山時代に思いを馳せながら、学びの3年間を過ごします。

 これらの瓦や伏見城の鬼瓦などの出土品は2号館のギャラリーに展示してあります。

 
 
 

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