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峰山高校コミュニティプロジェクト 「震災の記憶をつなぐ」
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『歩いて辿る丹後震災の記憶』街歩き |
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2018年3月18日(日) / 京丹後市峰山町 / 京丹後市と共催 |
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丹後震災から90周年となった昨年度、本校の地学研究部は峰山における丹後震災の研究成果をまとめ『歩いて辿る丹後震災の記憶』街歩きマップを作りました。「震災の記憶をつなぐ」チームのメンバーが、この街歩きマップを使って案内し丹後震災の記憶を辿る街歩きを、京丹後市と共催し実施することができました。昨年度に引き続き2回目の開催となった今年度の参加者は約10名。参加して頂いた方々は丹後震災のことや防災教育に興味を持っておられる方ばかりで、案内をした「震災の記憶をつなぐ」チームの生徒達も多くを学ぶ事ができました。 |
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街歩きのスタート地点である全性寺の境内に集合。防災の仕事をされている神戸の方にも来ていただきました。 |
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全性寺の境内から見える本町通り沿いの現在の街並みと、震災直後にこの場所から撮影された写真を比較しています。 |
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全性寺の境内にある集合墓地で、震災のあった昭和2年3月7日の日付の刻まれた墓石を探しています。 |
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家屋の全壊全焼率97%、死亡率24%という壊滅的な被害となった峰山の被害の概要を説明しています。 |
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震災記念館の中で震災画「逃げ惑う人々」を見ながら、工業学校(峰山高校の前身)生徒の作文の朗読を聞いています。 |
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震災画「菅峠で炊き出しをうける図」を見ながら、工業学校生徒の作文の朗読を聞いています。 |
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震災記念塔の背面に刻まれている碑文の朗読を聞きながら、それぞれ頭の中で震災の様子を思い描いています。 |
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死亡率が44%と峰山で最も被害の大きかった呉服町で、高齢者の方にお聞きした震災の教訓を説明しています。 |
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古殿町では、工業学校の二人の先生と生徒による消火活動と救命活動について説明しました。 |
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峰山小学校の本館脇にある震災殉難碑の前で、かつて歌われていた「慰霊祭の歌」と「震災復興歌」を歌いました。 |
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街歩きの案内をした本校生徒の感想 |
一般市民の方の参加人数は少なかったけど、本当に興味を持って下さっている方々ばかりだったので案内はしやすかったと思います。中には私たちより詳しく知っておられる人たちもいらっしゃって驚きました。私はしょっぱなだったしあまり練習をする機会もなく本当に緊張してしまい、原稿を読むくらいの事しかできませんでした。それでもしっかり聞いてくださって、写真と風景を見比べる所などは「あぁ!」とか言ってもらえてとても嬉しかったです。移動の時、高校生が先々歩きすぎていたので、もう少し参加者の方々と話しながら移動するのがいいんじゃないかと思いました。神戸学習や小学生の出前授業、街歩きに参加して、自分でも改めて丹後震災について知ることができたし、それを他の人に伝えることができました。本当に参加して良かったと思いました。(1年・女子)
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悪天候により峰山小学校5年生との震災街歩きが中止となってしまい、突然大人を案内するということになり少し焦りを覚えましたが当日は晴れ。時間はオーバーしてしまったものの成功に終わった事は本当に良かったです。何度も同じ道を歩いてきた私たちでしたが、やはり案内するとなるとまた違った景色が見えました。参加して下さった方々もまたいろいろな話をしてくださり、私も新たに学ぶ事が多くありました。自分の親が震災に遭ったこと、地区にも同じように資料が残っているけど埋もれてしまって伝えることができていないことなど、まだまだ私たちが知っているのはほんの一部だという事がよく分かりました。これで終わりではなく、今度はもっと自分から震災について調べていきたいなと思いました。(2年・女子)
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去年は参加できなくて今年こそはと思っていたこの取り組みに参加できて本当に良かったです。去年、実際に東日本大震災の被災地に行ってみて丹後震災の事を忘れてはならないし、語り継いでいきたいと強く思ったことも思い出すことができました。約2時間の街歩きでしたが、参加者の方々にたくさんの事を知ってもらうことができて本当に良かったと感じています。練習に参加できる日数も少なくメンバーにも迷惑をかけたけど、このメンバーだったからこそ良い取り組みにできたのではないかと感じています。今回のこの取り組みを通して私自身も丹後震災について学ぶ事ができました。それと今回のこの取り組みで震災の風化を防ぐことの難しさについて考えさせられました。年月がたっても丹後震災でこの丹後の地が大きな被害を受け、その後復興したという過去は変わらないのでずっと伝え続けていきたいと思いました。次は学び伝えるだけでなく、防災や減災の取り組みにまで視野を広げていきたいと思うし、できる限り自分も参加してよりよい峰高の伝統を作っていきたいと思います。(2年・女子)
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元々数人と聞いていましたが、それから増えて10人ほどの一般の方が参加して下さりました。少しの不安と緊張はあったものの、二人の先生と人文チームの準備があったので、参加者のみなさんにうまく語ることができました。生徒会の動きと並行して行われていたため、多くを人文チームに任せてしまうことになってしまいました。とても感謝しています。当日には、母が丹後震災に遭われた方、峰高の地学研究部OBの方、神戸のアジア防災センターの所長さんなど、丹後震災や峰高に縁のある方々が参加して下さり、自分たちも多くの事を学びました。参加者のみなさんは語り部デビューの僕たちの話を真剣に聞いてくださり、とても興味を持って峰山の町を歩いておられました。その姿に僕は、これまでやってきた良いものを発表し伝えることができたことに喜びを感じました。この「伝えていく」ことを小学生の子どもたちにできなかったことは少し残念です。ですから来年も有志を募り、そして多くの支援を受けながら、さらに良いものにして受け継いでほしいです。(2年・男子)
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