峰山高校発地域活動プロジェクト
   『歩いて辿る丹後震災の記憶』街歩き
 3月16日(木)峰山小学校5年生  3月18日(土)・19日(日)一般対象
 今年の3月7日で丹後震災(1927.3.7)からちょうど90周年になりました。本校地学研究部がこれまでの研究成果をまとめて作った『歩いて辿る丹後震災の記憶』街歩きマップを使って、地域の人を案内する『歩いて辿る丹後震災の記憶』街歩きを3回実施することができました。昨年12月に生徒会執行部員を中心とした8名の有志の生徒で街歩きガイドチームを結成。1月9日には神戸市に行き、震災体験者から話を聞いたり舞子高校の生徒と交流をして学習をしました。その後2月にかけて何回か集まって案内する内容を確認し、3学期の期末考査後の約一週間で集中的に練習を重ねて本番を迎えました。神戸での学習で感じることができた震災を体験した人々の「想い」を大切にしながら、丹後震災について様々な事を学び小学生や地域の人に伝えることができました。90年前の峰山の人々の震災体験や想いを「震災の記憶」として伝えることで、防災に対する関心を高めることができるのではないかと思います。
 
 
 
 
 スタートは峰山小学校に近い全性寺の境内。街歩きマップを全員に配り始まります。ここでは90年前に丹後震災が本当にあって、街が焼け野原になり多くの人が亡くなったことを確かめました。  地震から一月後にこの場所から撮られた写真と見比べながら紅葉丘テニスコートを見ています。震災当時ここは運動場で地震から一月後に峰山町の葬儀が行われ大勢の人が集まりました。
     
 
 全性寺の境内から本町通りの方を眺めながら、地震直後にこの場所から撮影された写真と見比べています。震災により本町通りの両側の家は全て焼失し一面の焼け野原になりました。  ここからは峰山小学校が見えます。震災当時は、今の小学校と中学校を合わせた尋常高等小学校と、峰山高校の前身の女学校、そして幼稚園がありましたが、地震で全壊し全焼しました。
     
 
 全性寺の集合墓地の墓石には日付が刻まれたものがあります。その中に地震が発生した昭和2年3月7日の日付が刻まれたものが3つもあり、この日に多くの人が亡くなったことが分かります。  次に丹後震災記念館に行きます。この建物は全国から送られた義援金の一部を使って建てられましたが、老朽化し現在は使用されていません。念のためにヘルメットをかぶり館内に入ります。
     
 最初に震災の時の気象について説明をします。90年前の冬は今よりずっと寒く地震の時には峰山で1mの残雪がありました。また地震の後、大雨が降るなど悪天候が続き洪水も起こりました。

 家屋の倒壊、倒壊家屋からの救助、街の炎上、雪の上で避難、震災後の復旧を描いた5枚の絵を、震災を経験した工業学校(峰高の前身)の生徒の作文の朗読を聞きながら鑑賞しました。
 震災記念館の横に震災記念塔があり、その背面には碑文が刻まれています。碑文の前半には震災の様子が記されています。碑文の文字を目で辿りながら碑文の朗読を聞いています。

 呉服町では家屋の100%が倒壊全焼し死亡率は42%に達しました。震災の教訓としてお話を聞いた、地震に強い家屋を作ることと、倒壊家屋から救助するための金梃子の話をしました。
 ここは古殿町。ここに住んでいた工業学校の二人の先生が雪を使って必死の消火活動を行い延焼を防いだことと、工業学校の生徒が6人もの人を倒壊家屋から救出したことを話しました。

 峰山小学校の本館脇にある震災殉難碑です。ここで学んでいた206名もの園児・児童・生徒と、8名の教職員が亡くなったことが殉難碑の背面に刻まれています。
 地震直後には遊具のある辺りに慰霊塔が建てられました。また地震から9日後にはテントが並びその中で授業が始まりました。その時の写真と現在の風景を見比べています。

 校長先生を始めとする先生たちの手によって「慰霊祭の歌」と「震災復興歌」が作られ学校で歌われていました。二つの歌の歌詞を説明しガイドチームの生徒たちが合唱しました。
 
 最後は楽しい実験。最初に、地震が起きた時の家の構造による揺れ方の違いの実験。屋根が軽い方が揺れが小さい事、筋違などの補強をすることで揺れが小さくなることを確かめました。
 車の後輪の下敷きになっている小さな板を、金梃子を使って車を持ち上げ取り出す実験。重くて動きそうにない物でも、金梃子をうまく使えばてこの原理で動かすことができます。
     
 約90分間の丹後震災の学習が終わり震災殉難碑の前でお別れです。子供たちが次々に手をあげて今日の学習で分かった事、発見したことなどを話してくれました。

 峰山高校のガイドチームのメンバーです。1月9日の神戸での学習から始まって今日まで練習を重ねてきました。大役を終えほっとしながら子供たちの感想を聞きています。いい笑顔ですネ。
 
 
街歩きガイドチームのメインガイドを務めた4名の生徒の作文
 私は90年前の丹後大震災について詳しく知り、そして地域の方々と交流する良い機会だと思い、今回この取り組みに参加しました。まず初めに、私たちが体験したことのないマグニチュード7.3の地震がどういうものかを知るために、以前同じ大きさの地震が起こった神戸へ行きました。神戸では人と防災未来センターを初め、様々な所で震災の悲惨な話や復興について話を聞きました。実際に地震を体験した方のお話はとても心にのしかかり、地震がどれだけ恐ろしいものか、自分が地震に遭ったらどのような行動をとるか深く考えさせられました。またNPO法人さくらネットの河田のどかさん、舞子高校環境防災科の生徒との意見交流会では、震災後に生まれた私たち若者にできることについて話し合いました。神戸での学習を通して地震の恐ろしさを再確認し、また丹後大震災の大きさを実感しました。3月に入り本格的な練習が始まりました。初めの頃は丹後大震災について詳しいことは何も知りませんでしたが、取り組みを進める中で小長谷先生や市役所の新谷さんから様々な説明を聞き、90年前の様子や今も残る震災の跡、教訓について詳しく学ぶ事ができました。原稿を何度も読み練習することで、私達自身もしっかりと震災について理解した状態で街歩きに臨むことができました。峰山小学校5年生との街歩きでは、自分たちの学んだことを小学生でも理解できるように、言葉や表現方法を工夫して本番に臨みました。小学生はとても真剣に、また積極的に話を聞いてくれてとてもよい街歩きになりました。翌日の2回目の街歩きには、神戸から河田さんと舞子高校から4人の卒業生が来て下さり、街歩きをしてそのあと交流会を行いました。交流会では、自分たちが体験したことのない震災をどのように後世に伝えていくかなどを話し合い、またお菓子を食べながら楽しく談笑しました。京丹後市の地域の方々を案内する最後の街歩きでは、私たちよりも震災の事をよく知っておられる方もおられ、私たちも震災の事だけでなく昔の話などを聞くことができました。また、震災復興歌を覚えている方とも出会い、一緒に歌えたのはとても嬉しかったです。3日間の街歩きは無事成功させることができました。この取り組みを通して、丹後大震災についての知識が深まり、また地域の方々と交流ができ、参加して本当に良かったと思いました。実際に震災を経験していないということもあり、私たちが語り継いでいくのは難しい所もありますが、この取り組みを今年一年で終わらせるのではなく続けていくことが大切だと思います。また、震災の歴史を語ることも大切ですが、そこから学んだ教訓や私たちにできる防災についても考え伝えていけたら、未来にも繋がるよい取り組みになると思います。私もこの取り組みから学びそして考えたことを忘れずに、今後の生活に活かしていこうと思います。


 私は街歩きマップに載っているものを見たり、ガイド原稿を読んだりして丹後震災について知りました。まず一番に思ったのが、90年前の事がここまで分かること、分かるための資料が残っていることに驚きました。ふだん峰山に住んでいて何気なく見ている小学校や、90年前から続いているお店が震災に遭ったと思うと、丹後震災がより身近に感じられ少しの恐怖心も感じました。この震災を伝えるって大変な事だと思いました。39日から始まった本格的な練習では、何度かリハーサルなどをしましたが、やり切ったと思える所まで行かなくて、ずっと何かしらの不安を抱えていました。316日の峰山小学校5年生との街歩きは、難しい言葉などをどうやって小学生に理解してもらおうかとても考えました。きっと小学生なんて興味ないだろなと思っていたら、質問に対してたくさんの子が手を挙げて発言してくれて本当にやりやすかったです。街歩きしながら初対面の小学生と会話したこともとても貴重な体験でしたし、高校生の私達の話をせっかく聞いていてくれているんだから、大事な事をちゃんと伝えたいって思いました。教師の仕事の楽しい部分が見えた気がしました。峰山小学校の子ども達に、毎日通っている学校で90年前の地震で大変な事が起こったことを伝えることができたのは本当に良かったと思います。何も知らずに毎日学校に通うより、学校の深い歴史とかそのことが刻まれているものがあるということを知っている方が、より学校を好きになるんじゃないかと思いました。18日に舞子高校との交流は本当に楽しかったです。わざわざ神戸からこんな田舎に来てもらって、自分たちの案内をメモを取りながら真剣に聞いてくれてすごいなと思いました。この取り組みに参加していなかったら絶対に出会うことはなかったと思うので、本当に参加して良かったと思いました。19日の案内では本当に興味を持って聞いてくださった方や震災に詳しい方もいて、そういう方がまだおられると思うと、今回震災について学んだ私たちもしっかりと後世に伝えていくべきだと思いました。この取り組みを通してたくさんの事を学び、たくさんの方々と交流し、本当に楽しかったですし、やって良かったと思いました。この取り組みが今後も続くといいなと思いました。



 私は教員志望なので、この取り組みを通して少しでも人前に立つことに慣れたり、様々な人との交流で自分自身を成長させるいい機会ではないかと思い参加しました。取り組みのスタートとして神戸に行きました。そこでは約20年前に起こった阪神淡路大震災や防災について学びました。そこで私が学んだのは、災害の記憶は何もしなければ薄れて行ってしまうという事です。実際、90年前に丹後で起こった地震がどういうものだったのか知っている人はそんなに多くないと思います。このことから私たち高校生が震災について語り継ぐという事の大切さを感じ、この取り組みにより真剣に向き合うことができました。あっという間に本番になり、私自身上手く案内できていたかはわからないけれど、いろんな方に丹後震災について知ってもらえたという達成感を得られました。3か月という短い期間でしたが、私にとって本当に自分を成長させる良い機会になりました。これからもこの取り組みが続いてより多くの峰高生が関心を持って参加してくれることを期待しています。


 私がこの取り組みに参加した当初の目的は、人前に出て話すことに慣れる事でした。重きを置いていたのがそこだったので、正直震災について興味があって参加したわけでもなく、他のメンバーが全員生徒会だったので疎外感を感じて、参加したことを後悔していました。しかし神戸での学習や街歩きを通して、私たちがやっている活動の重要性に遅ればせながら気付くことができました。神戸での学習では、震災が日常生活を一瞬にして破壊した、その現実や惨状をリアルに知ることができました。中でも語り部の方が涙ながらにご自身の体験を話して下さった事が印象に残っています。いつもテレビ越しでしか知らなかった震災を初めて実感した気がしました。舞子高校との交流では私たちのような被災体験のない世代が、地震の事を後世に伝えていくことの意義を学びました。経験したことがないからこそできる解釈や伝え方で、震災の風化を防ぐことに役立つのだと分かりました。実際に街歩きをしてみて感じた事は、きちんと準備をしさえすれば聞き手は予想以上の反応をしてくれるということです。やってみる前は小学生にこの内容は難しいのではないか、興味を持ってくれるだろうか、という不安がありました。しかし実際には小学生はとても意欲的で、私たちの話を真剣に聞いてくれたし、質問や実験に元気よく協力してくれました。良い意味で期待を裏切られる結果となり、とても充実した街歩きだったと思います。