アカデミックミネX 丹後再発見の旅 (科学の教室I) |
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2012年11月17日(土) 午前8時30分〜午後4時30分 与謝野・宮津方面 |
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11月17日(土)にアカデミックミネXの企画として、丹後の地学的・歴史的な見どころを見学する理科・地歴科合同企画「丹後再発見の旅」を実施しました(昨年は京丹後市内でジオパークと古代遺跡の見学をしました)。あいにく冷たい雨が降る一日となりましたが、生徒・教職員合わせて14名で朝8時30分に学校を出発しました。訪れた場所を順に紹介すると、
@新戸古墳(大宮町奥大野):古墳時代後期の古墳で丹後地方では最も大きな石室がありその中に入りました。
A真名井神社・波せき地蔵堂(宮津市府中):1300年前の大宝年間に津波を切り返したという地蔵堂があります。その前で日本海における地震と津波災害について学習しました。
B入谷古墳群(与謝野町明石):鹿よけのフェンスを開けて林道を進むと、山の斜面に古墳時代後期の古墳が密集しています。小規模な石室ですが中に入りました。
C与謝野町立古墳公園(与謝野町明石):はにわ資料館において土器などの展示物を見ながら学芸員の方に古代史の話を聞きました。そして園内にある丹後で最大級のえびす山古墳に登り、石棺を間近で見せてもらい手で触れることもできました。
D大江山ニッケル鉱山跡(与謝野町大江山運動公園):SL広場を含む大江山運動公園はニッケル鉱山の跡地です。公園内の施設を借りて元本校英語教諭の糸井先生(『憎悪と和解の大江山』の訳者)をお招きし、鉱山にまつわる太平洋戦争の頃のお話を聞かせていただきました。ここで強制労働をさせられた元英国人捕虜エバンスさんの生涯を中心に、仲間の慰霊碑を作るために再訪されたことがきっかけとなった英国アベリスツイス市との交流までの歴史を聞かせていただきました。
丹後の古代史と現代史、そして大地を作る岩石と地震・津波。本物を見たり手に触れたりしながら、丹後の大いなる歴史に想いを馳せることができた一日でした。
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@新戸古墳(京丹後市大宮町奥大野) |
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新戸古墳の近くでバスを降り参加者全員で自己紹介 |
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新戸古墳に向かって歩く |
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この入り口から古墳の石室の中に入りました。。 |
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大きな花こう岩の石によって作られた石室内部はかなり広い。 |
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A波せき地蔵(宮津市府中真名井神社境内) |
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1300年前の大宝年間に津波を切り返したと書かれています。 |
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波せき地蔵の前で日本海側における地震と津波の学習。 |
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B入谷古墳群(与謝野町明石) |
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与謝野町明石の入谷古墳群に向かって山に入る。 |
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入谷古墳群の古墳の一つ。石室の内部に入ります。 |
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C与謝野町立古墳公園(与謝野町明石) |
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はにわ資料館にて学芸員の加藤さんのお話を聞いています。 |
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丹後三大古墳の一つである蛭子山古墳の頂部に登ります。 |
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石棺が展示されている建物を開けていただき中に入りました。 |
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石棺の内部を覗いたり手で触れたりしました。 |
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D大江山ニッケル鉱山跡(与謝野町大江山運動公園) |
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SL広場の辺りが岩滝と鉱山を結ぶ加悦鉄道鉱山線の終点。 |
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当時をしのばせる乾燥工場の3本の煙突。 |
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大江山運動公園にある「農村女性の家」を借りて学習をしました。 |
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糸井先生が翻訳された『憎悪と和解の大江山』を元に、地元の読み聞かせサークルが制作した紙芝居「エイエンノヘイワ」を教員が上演。 |
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糸井先生からお話をお聞きしました。 |
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運動公園から眺めた大江山。手前の森の中に鉱床があります。 |
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英国人捕虜エバンスさんが同僚のために建立した慰霊碑。 |
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慰霊碑を囲んで全員で記念写真。 |
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参加者の感想: |
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雨も降っていたし思ったより大変でした。山を登ったりたくさん歩いたり、貴重な経験ができたと思います。山の中に古墳があってすごく身近に感じることができました。知らなかったことや難しいことを学べて勉強になりました。興味深い話も聞けて楽しかったです。寒くて疲れたけどいい勉強になりました。(1年生)
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「丹後再発見の旅」の体験に行ってみて、丹後に何年も住んでいるのに知らなかった事が多くて、丹後にもこんな所があるんだなあと思い、改めて丹後の良い所が知れて良かったです。そして丹後の深い歴史もたくさん知れました。いったことのある所もあったけど、知らない所ばかりで、とくに自分は大宮に住んでいるのに奥大野の古墳は聞いたこともなかったし、大宮にもこんな所があるんだと知れました。この体験をしてたくさんの歴史を知れたしもしかしたらもっと歴史があるかもしれないし、それも知れたらいいなあと思いました。(1年生)
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丹後に意外とたくさん古墳がある事を知りました。古墳は石を絶妙なバランスで積み上げてあって、一つ崩れたら全部崩れてしまうかなとか、どうやって作ったのかな、とか、こんなに大きい石がどこにあったんだろうとか考えました。また古墳の周りに置くはにわに丹後独特の形がある事をしりました。橋立にある波せき地蔵は津波を切り返したという伝説があるそうです。先生方によると確かに津波は来たのですがお地蔵さんのところまでは届かなかったようです・・・ちょっと残念でした。また日本では太平洋側だけでなく日本海側にもたくさんの地震が来ている事も知りました。そういう災害で人が亡くなることがなくなればいいなと思います。私たちが住んでいるこんな近くに第二次世界大戦のときの捕虜収容所があったなんて知りませんでした。それに日本が捕虜の人たちにひどい扱いをしていたことも初めて知ってショックでした。戦争が起こるといろんな形でたくさんの人が亡くなります。だからもう二度と戦争を起こしてほしくない、平和であってほしいと切実に思います。どうか全ての人に幸福が訪れますように・・・。ただ、戦争がなければフランク・エバンスさんが日本に来ることもなく、加悦とアベリスツイスとの交流もなかったのかなあ・・・と思うと複雑な気持ちです。(1年生)
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戦中・戦後の丹後の様子について伺う機会が今までほとんどなかったため驚きの連続でした。加悦町や宮津市で機銃掃射があり市民の方が亡くなったことや、大江山ニッケル鉱山で捕虜の方が強制労働に就かれたことなど知らないことばかりで大変驚きました。特に、糸井先生からはそんな悲しい歴史を乗り越えて手記を出版された元イギリス人捕虜・エバンスさんの軌跡と、糸井先生が偶然手記を発見されて翻訳をされたことなど、本当に様々なことをお話していただきました。お話を通して、これら一つひとつの出来事である「点」が、人の絆によって結ばれ「線」となり、今の平和な社会へと繋がっているのだと改めて実感しました。(U先生)
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いつも横を通りながらこんなにも大きな古墳がきれいな形で残っていることに全く気付きませんでした(新戸古墳)。この地蔵にまつわる伝説が史実か否か? 史実でないとしてもこの地蔵がここにあるという事実は何らかの意味を持っているのでは?民俗学の世界への興味関心を持つきっかけとなる地蔵でした(波せき地蔵)。(Y先生)
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大宮町の山の中に古墳があり、巨大な天井石のある石室がありました。石が積まれた石室の壁は、地震で一部石が崩れたかもしれない様子でした。外観からは想像できない姿に驚き不思議な感じがしました。はにわ資料館で見学したガラス釧(古代の腕輪)は、青く透き通って印象的な美しさでした。日本海の津波や大江山ニッケル鉱山でのフランク・エバンスさんの体験記についても、現在に残されたありのままの姿と資料を読み解いていくことは興味深くおもしろいと思いました。(U先生)
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ふだん当たり前の風景として見ている小さな丘や、民家の近くの普通の山の斜面が1000年以上も前に作られた立派な古墳でした。また標高40mを超える場所に津波を切り返したといわれる地蔵があり、ここまで到達したかどうかは不明ですが、少なくとも丹後にも津波に襲われた歴史があったんだと思いました。当たり前の風景の中に散在するこれら昔の遺跡は、現代の私たちに何だかのメッセージを伝えようとしていると感じました。大江山運動公園にはSL広場や道の駅、様々なレクリエーション施設があり、多くの人が集まり楽しい時間を過ごしています。この広い運動公園全体が半世紀ほど前にはニッケル鉱山で、戦争捕虜を含めて数千人の人々が働いていたなんて歴史を学ばないと想像する事すらできません。しかしその悲しい歴史を乗り越えて旧加悦町とイギリスのアベリスツイス市の人々の間に交流が生まれ、数多くの高校生がホームステイをして歴史を学び交流を深めています。悲しみは乗り越えられるし、乗り越えてそれをプラスにできると思いました。(O先生) |