科学の教室K アカデミックミネ特別授業 | ||
〜東日本大震災から2年〜 | ||
2013年3月12日(火) 13:00〜16:30 224教室 | ||
東北地方太平洋沖地震(2011.3.11)の発生からちょうど2年が経ちました。この日は今年度の最後の授業日で、午前中の授業を行い午後は放課になりました。この午後の時間を使い上記のテーマで特別授業を行いました。ちょうど1年前の2012年3月12日にも同様の特別授業を実施し、震災発生から1年の間に被災地に行かれた校内外の6名の方に、被災地で見てきた事や体験された事等を語って頂きました。今回はその特別授業の第二弾。今回は生徒諸君による発表があり、また被災地をより身近に感じられるように様々な展示物などを準備しました。休憩をはさんで3時間半にわたった長い授業でしたが約50名の生徒・教職員が参加してくれました。震災の記憶が早くも風化しつつあるといわれている中で、地震、震災、被災地、私たちにできることなど今一度じっくり考える機会となりました。 | ||
第一部: 地震についての講演会 講師: 加納靖之先生(京都大学防災研究所地震予知研究センター) 演題: 「震災を引き起こした大地震〜東北地方太平洋沖地震と北丹後地震」 ティータイム 〜お茶を飲みながら〜 ○ 岩手県〜福島県の5万分の1の地形図で被災地の全体を眺める! ○ 陸前高田市の震災前と震災後の写真を展示! ○ 陸前高田市で被災し再開したお店の和菓子とお茶を味わう!! ○ 陸前高田災害FM放送で陸前高田の今に耳を傾ける! ○ 霧箱を使って見えない放射線を見る実験コーナー! ○ 丹後大震災の貴重な写真や地震計を展示(加納先生による)! 第二部: 被災地に関わる報告とお話 @京丹後市の陸前高田市復興支援活動について 田ア正浩さん(京丹後市企画総務部総務課) A本でつなごう思いやりの輪〜陸前高田市図書館ゆめプロジェクト〜 峰山高校生徒会執行部 B気仙沼市にて津波で被災した建物を解体(2011冬) 小住祐基先生(本校数学科) C石巻市で被災者支援ボランティア活動に参加して(2012春・夏) 松川友哉君(2年4組)・吉岡佑弥君(2年4組) D福島第一原発から10km・南相馬市小高区の今〜(2012冬) 小長谷誠先生・谷哲郎先生(本校理科) E東日本大震災に寄せる想い” 京崎秀樹校長先生 |
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〜会場の展示の紹介〜 | ||
東日本大震災のコーナー。机の上に広げられているのは、岩手県久慈市から福島県いわき市までの5万分の1の地形図をつなぎ合わした、津波で大きな被害を受けた東北地方太平洋側の地図。被害に関する様々な情報が並べられています。 | 京丹後市から提供して頂いた岩手県陸前高田市の写真を展示しました。市内の主だった場所を同じアングルで撮影した震災前と震災後の写真が上下に並び、津波の被害の様子が良く分かります。 | |
2011年夏、2012年春、そして2012年夏と3度にわたって陸前高田市にボランティアに行かれた数学科の田中先生が撮影された写真です。 | 2013年1月から2ヶ月間、復興支援のために陸前高田市に派遣された京丹後市の職員さんが撮影された、ごく最近の陸前高田市の写真です。 | |
津波で浸水した地域は赤く着色されています。また津波の高さや犠牲者の数が書かれています。手前に突き出た半島は宮城県牡鹿半島で、左の広く赤く塗られた地域が宮城県石巻市です。 | 1927年の丹後大震災で本校のある旧峰山町は壊滅的な被害を受けました。これらの写真は地震発生から約10日後に撮影されたものです。府立山城郷土資料館に保管されている写真を加納先生が借用され展示させていただきました。 | |
第一部 : 講演 「 震災を引き起こした大地震〜東北地方太平洋沖地震と北丹後地震〜」 | ||
加納先生による講義。スクリーンに映っているのは、、防災研究所のある京大宇治キャンパスと、1993年から2年間にわたり防災研究所の所長をされた田中寅男名誉教授(峰山高校出身)。 | 会場の224教室には約50の椅子を並べました。教室の周囲は写真パネルや東北の地図などの展示物で囲まれています。生徒諸君だけでなく多くの先生方にも参加して頂きました。 | |
ティータイム〜お茶を飲みながら〜 | ||
3.11の大津波で陸前高田市の市街地にあった店と工場が流され、震災から3ヵ月後に別の場所で仮店舗を建てて営業されているお茶屋さんから、玄米茶を送って頂き参加者の皆さんに飲んで頂きました。 | 3.11の大津波で陸前高田市気仙町(気仙川の西側)にあったお店が流され、震災から1年2カ月後に仮店舗で営業を再開されたお菓子屋さんから、和菓子を送って頂き参加者の皆さんに食べて頂きました。 | |
地図を見ると、地形や道路だけでなく、学校や病院、福祉施設や工場、海に浮かぶ養殖場など町の様子がよく分かります。小さなパネルには震災前と震災後の航空写真が両面に印刷され、地形図と照合すると津波被害が詳しくわかります。 | 震災直後に被災地に設立された災害FMラジオ局は、被災者が最も必要とする地域の情報を提供してきました。陸前高田災害FMはその一つで今でも毎日放送をしています。ラジオの電波は届きませんが、インターネットを使って放送を聞く事ができます。 | |
円形の透明な容器は"霧箱”とよばれる、放射線の軌跡(飛んだ跡)を見るための実験装置です。見えない放射線もこの装置を使えば間接的に見る事が出来ます。初めて見る放射線(の軌跡)に誰もが釘付けになりました。 |
容器内の4つの小石は放射線を出す燐灰ウラン石で、放射線が出ると通り道の空気の分子がイオン化され、それに引きつけらたエタノール蒸気の分子が液滴となり白い雲のように見えます。左の石から左に延びているぼやっとした白い筋が放射線の飛跡です。 | |
第二部: 被災地に関わる報告とお話 | ||
京丹後市役所の田崎さんに、陸前高田市への復興支援活動について話をして頂きました。田崎さんは2011年8〜9月に陸前高田市に派遣されました。陸前高田市の紹介と被災の状況から始まって、京丹後市が行ってきた様々な支援活動について話をして頂きました。 | "本でつなごう思いやりの輪"というスローガンで、陸前高田市図書館ゆめプロジェクトに取り組んだ生徒会執行部の報告です。陸前高田市の図書館の被災と現在の図書館活動、そしてプロジェクトの概要を説明し、本校での取り組みと成果、今後の課題について発表してくれました。 | |
震災から1年後の冬。大学4年生だった数学科の小住先生は、宮城県気仙沼市の被災地に、ボランティアではなく仕事として参加されました。津波被災地で困難な仕事をされている人達と共に、被災したホームセンターの建物解体作業をされた時のお話です。 | 松川友哉君(2年4組)は2012年の春休みに宮城県石巻市で被災者支援のボランティアを行いました。写真に写っているのは全国各地から集まった共に活動をした高校生です。 | |
吉岡佑弥君(2年4組)は、2012年の夏休みに宮城県石巻市で被災者支援のボランティア活動を行いました。全国各地から集まった高校生と共に仮設住宅で生活をしている人々を支援する活動を行いました。 | E理科の小長谷先生は2012年12月に福島県南相馬市に行かれました。ここは福島第一原発から10〜20km圏内にあり、立ち入りはできますが生活をすることはできません。瓦礫が放置されたままの海岸付近や、人の気配がない静寂な街並みを見てきた報告です。 | |
F理科の谷先生は南相馬市の空間線量(放射線の強さ)について、福島県のHPで公開されている観測値を示しながら解説されました。放射線の種類や健康への影響、南相馬市の現在の空間線量、事故から2年経って空間線量が約半分になった理由等について説明をして頂きました。 | G学生時代を仙台市で過ごされた京崎校長先生は、始業式など全校生徒が集まるたびに震災について生徒達に語り続けられてました。先生が日帰りで仙台に行かれ沿岸部の被災地を回られた時に、目にされたものや感じられた事などをしみじみと語って頂きました。 | |
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