科学の教室C “神戸の街を歩く 〜震災と復興〜 ” | ||
2014年11月1日(土) /野島断層保存館(淡路市)・人と防災みらいセンター(神戸市)・神戸市内散策 | ||
六甲の山々と海に囲まれた美しい神戸の街は、1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震によって大変大きな被害を受けました(阪神淡路大震災)。震災から20年の間に街は復興し、街を歩いていても震災があったことにはほとんど気がつきません。峰山高校のある京丹後市も丹後大震災(1927)で大きな被害を受けました。とくに峰山高校のある旧峰山町の中心街はほとんど焼け野原になりましたが、震災の記憶はどこにも見当たらないほど復興しました。東日本大震災から4年の月日がたち、被災地でもようやく目に見えて復興が進むようになってきました。震災と復興について学ぶために、生徒18名と引率教員4名で淡路島と神戸を訪れて学習してきました。一日の行程は次の通りです。 @ 野島断層保存館(淡路島) A 人と防災未来センター B 神戸市役所一号館24階展望ロビー C 東遊園地公園 D 国道2号線京橋ランプ近くの歩道(浜手バイパス橋脚の遺構) E 旧居留地 F 神戸港震災メモリアルパーク G 長田区の商店街(本町筋→六軒道→大正筋) H 若松公園(鉄人28号モニュメント) |
||
![]() |
||
最初に淡路島にある北淡震災記念公園内にある野島断層保存館に行きました。まずはエントランスホールにて震災を体験された地元の方に、地震が発生した時の様子を聞かせていただきました。 |
野島断層保存館の細長い建物は、地表に現れた地震を引き起こした野島断層を長さ140mにわたって保存しています。屋根つきの建物で断層が保存され、断層によってすれた地表面を歩きながら見学できます。 |
|
野島断層の断面です。右側(南東側)が左側(北西側)に乗り上げる逆断層になっています。野島断層は右ずれ断層ですが逆断層の成分もあります。 |
断層の直上に建っていたにもかかわらず倒壊しなかった家屋がそのまま保存され見学できます。この部屋はダイニングキッチンで、食器棚が倒れ食器が散乱しています。 |
|
兵庫県南部地震の揺れを体験できる部屋です。地震計に記録されたデータを元に神戸市内の揺れを再現しています。 |
淡路島から神戸市内に入り、ここは新都心HAT神戸にある「人と防災未来センター」です。この施設は防災と減災の世界的な拠点になることを目指して作られました。 |
|
最初に『語り部』さんによる震災の体験談を聞きました。地震が発生した当日のこと、震災後の混乱した状況の中で市の職員として仕事のお話など、たくさんの事をお話ししていただきました |
西館3階にある震災の記憶フロア。たくさんの震災関連資料が展示され、震災とその後の復興までの道のりがよく分かりました。 |
|
神戸市市役所一号館の展望ロビーは高さが100mあり市内が一望できます。この写真は南の方角を撮影したもので、手前の公園は東遊園地公園、遠くに見えるのはポートアイランドです。 |
この写真は北の方角を撮影したものです。六甲山系の麓まで市街地が続いています。六甲山は長年にわたる断層運動によって隆起してできた山地です。 |
|
市役所の南にある東遊園地公園は高層ビルに囲まれた都心の公園です。毎年1月17日にはこの公園で阪神淡路大震災の追悼行事が行われています。 |
公園の隅には兵庫県南部地震の時に小規模な断層によってずれ動いたフェンスがそのまま保存されています。 |
|
ここは慰霊と復興のモニュメントで半地下式になっています。震災で亡くなられたたくさんの方々の名前が刻まれています。 |
ガラスの中には炎が灯っています。これは阪神大震災の慰霊のための「1.17
希望の灯り」です。 |
|
東遊園地公園の南を東西に走る海岸通りの歩道には、地震動で破断した浜手バイパスの橋脚が震災遺構として保存されています。震度7の地震動の強さを感じることができます。 |
東遊園地公園の西側には旧居留地が広がっています。道幅が広く数多くの石造りの建物が建っていてたいへん落ち着いたきれいな街です。 |
|
神戸港のメリケンパークは震災で大きな被害を受けました。神戸港震災メモリアルパークでは約60mの岸壁が被災したままの状態で保存されています。 |
バスに乗って長田区にやってきました。JR新長田駅に近い大橋二丁目交差点でバスを降りて3つの商店街の散策しました。ここは本町筋商店街で南に向かって歩いています。 |
|
![]() |
||
六軒道商店街を通り最後に大正筋商店街を歩きました。この商店街は再開発地区にあり高層ビルの谷間にあります。地下にも迷路のように商店街がありました。 |
大正筋商店街を北の端まで歩くと若松公園があり、そこには高さ18mの鉄人28号のモニュメントが建っています。街の復興と活性化のシンボルになっています。 |
|
![]() |
||
![]() |
||
![]() これからも地震が多い日本なのでいつ地震が起こるか分かりませんが、今回の体験や感じたことを忘れずに冷静な対処ができれば良いなあと思いました。東日本も神戸のように、少しでも早く復興することを願っています。少ない機会に参加できて学ぶ事もたくさんあり良かったです。 |
||
![]() 私の神戸の街のイメージはとても美しく賑やかな感じです。20年前にあんなに大きな被害を受けたということなど、何も知らない人が見れば分からないと思います。私たちは日本に住んでいるので小さい頃からこの地震の話をたくさん聞いてきました。だから今回この「科学の教室」に参加したことにより、この地震の事を本当に忘れてはいけないし、次の世代の人達にも伝え続けていかなければならないと強く思いました。今、当たり前に過ごしている毎日の生活に感謝して、家族や私を支えて関わってくれている周りの人を大切にしていきたいです。 今回の「科学の教室」で一つ印象に残っている言葉があります。それは、「地震のせいで・・・と下を向くのではなく、あの地震があったからこそ今があると考えられるように未来を見ていきたい」という言葉です。私もつらいことがあった時は下を向くばかりではなく、下を向いた後は切り替えて、前を見て行動していきます。楽しくとても勉強になった教室でした。また興味のあるものがあったらぜひ参加しようと思います!!! ありがとうございました。 |
||
![]() |
||
![]() |
||
![]() |