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考える時間

 

 峰高生の皆さん、お元気ですか?
 今ほど「当たり前」が幸せなことだと思わされる時はありません。
 時に孤独が胸に迫ることもあります。
 しかし、今まで目に止まらなかったものを静かに見つめることもできます。
 実際に目に見えるもの見えないものも。

 地球市民、ということが言われるようになって久しいですが、今ほどこの言葉を実感として感じることはありません。まさに一蓮托生の運命共同体として生きているのですね。

 さて、知識を得て、それをもとに思考を巡らし、物事を解決したり、新しい発想を得る訳ですが、この「蓄積」「熟成」「発酵」の関係の好例があります。まさに今の状況と似ています。

ウィキペディアの記述です。
  ペスト流行による故郷での長期休暇と三大業績
 ニュートンは一人で思索を巡らす時間を得た。学位を取得したころ、ロンドンではペストが大流行しており(ペストは以前14世紀にヨーロッパの人口の3分の1以上を死亡させたほどの恐ろしい病気だった。ニュートンが学生のときのそれは数度目の襲来であった)、この影響でケンブリッジ大学も閉鎖されることになり、1665年から1666年にかけて2度、ニュートンはカレッジで彼がしなければならなかった雑事から解放され、故郷のウールスソープへと戻り、カレッジですでに得ていた着想について自由に思考する時間を得た。また1664年、つまりペストで疎開する前に奨学生の試験に合格して奨学金を得ていたことも、故郷で落ち着いてじっくりと思索するのに役立った。こうしてニュートンは故郷での休暇中に、「流率法((Method of Fluxions))と彼が呼ぶもの(将来「微分積分学」と呼ばれることになる分野)や、プリズムでの分光の実験(『光学』)、万有引力の着想などに没頭することができたのである。「ニュートンの三大業績」とされるものは、いずれもペスト禍を逃れて故郷の田舎に戻っていた18か月間の休暇中になしとげたことであり、すべて25歳ごろまでになされたものである結局、このわずか1年半ほどの期間にニュートンの主要な業績の発見および証明がなされているため、この期間のことは「驚異の諸年」とも、「創造的休暇」とも呼ばれている。
     

 

 万有引力の法則に関して、古い伝記などでは「庭にあるリンゴの木からリンゴが落ちるのを見て万有引力を思いついた」とするものが多かったが、基本的にウールスソープ滞在当時の文書記録や物証があるわけではなく、はるか後に(ロバート・フックと、万有引力に関して先取権争いのいざこざも生じたあとに)そうだった、とニュートンが知人や親類などに語った話などがもとになって流布した話にすぎない。

 よく言われる言葉ですが、「ピンチ」を「チャンス」に変えたいですね。
                                   

 
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