教育長過去のエッセィ
2006.7   
 教育は人なりといいますが、「教師力」の向上はもっとも大きなテーマの一つです。
 今年の初任者研修の開講式でこんな話をしました。

 入学式などこの種の挨拶によく使われる言葉に「初心忘るべからず」がある。が、その意味は少し違うように使われている。世阿弥の花鏡にある言葉だが「新人の頃の感動や純粋な気持ちを忘れずに一所懸命取り組め」という意味ではない。
 世阿弥は三つの初心を説いており、「是非初心忘るべからず」「時々初心忘るべからず」「老後初心忘るべからず」としている。

 つまり、初心とは段階毎に経験する芸の未熟さのこと。未熟な時代の経験や失敗した「最初の状態」を忘れるな、またそれを乗りこえた経験を忘れるなということを言っている。いわば自己をチェックすることの大切さ、常に自らを戒め上達しようという向上心を説いているわけである。
 したがって、初心とは、初々しい「心持ち」をさしているのではない。年月を経て生ずる弛みや慣れが生みだす慢心を戒める意味で使われるのが本来の趣旨ではないかと思う。

 「教師力」、教師の力量とはまさにそういうもの。
 どの段階に至っても自己を磨くということが、もっとも重要なことであり研修もそのためにある。ついでにいえば、校長先生にも当てはまる。老境に入ってもそのときの未熟さというのはあるわけだから。

 世阿弥の言葉を間違って使われるのは、若い頃の「情熱」を持続させるのが難しいからであろう。それは「初心」ではなくて「初志」の方である。だから、時々萎えそうになる「志」を「鍛える」必要もある。
 どういう手段によるかというと、一つは子どもたちから元気をもらう。また同僚の先生方から、さらに地域の方々から励ましをうける。そしてもう一つは読書により先人の知恵を借りること。時々の「初心」を忘れず頑張ってほしい。

 というような挨拶をしました。

 さて、府教育委員会では6月から人材育成推進室を新設し、研修体系の抜本的な見直しなどに取り組むこととしています。府の「教師力」を一層向上させ、府民の期待に応えていきたいものです。
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