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令和2年度 第2学期始業式式辞

 
令和2年8月20日(木) 放送

 お早うございます。短い夏休みでしたが、元気に過ごせたでしょうか。本は読めましたか?
 私は何年か前から2020年の2学期の始業式では、東京オリンピックでの感動や、来たるべきパラリンピックへの期待を話すことになると考えていましたが、それは出来なくなりました。今日は、オリンピックや新型コロナがなければ、本来もっと注目されていたであろうことを話すことにします。
 夏休み中、東宇治高校1棟屋上の国旗が半旗になっていた日があります。8月15日です。今年は戦争が終わってから75年、四分の三世紀の節目の年です。本当は、放送ではなく、皆さんと向き合い、皆さんの目を見ながらしたい話です。少しの間、耳を傾けてください。
 私は昨年、出張先の会議で、沖縄県の校長先生と御一緒することがありました。未明の火災で、沖縄の首里城が焼失した日でした。首里城は、かつて琉球王国だった沖縄の象徴の建物です。今から75年前、上陸してきたアメリカ軍との戦いのなかで焼失し、戦後、再建されたもので、沖縄の人たちの心のよりどころでもあります。私もショックを受けましたが、旅先でこのニュースを知った沖縄の校長先生は、もっと落胆されていました。昨年10月31日のことです。
 そして、この夏、戦後75年の8月ということもあり、戦争をテーマとしたテレビ番組も多く、私が接した本や映画も自然とその方面のものが多くなりました。
 「この世界の片隅に」という映画を知っている人も多いと思います。映画館やビデオで何度か見ていますが、この夏、オリジナル版と2019年版をあらためて見ました。広島から呉に嫁いだすずさんという女性は、戦争が深刻化していく中でも、けなげに昨日と変わらぬ日常生活を送ります。一庶民の目を通して描かれた戦争の姿は、何度見ても不条理なものでした。
 ほかにも戦争に関わる本や映画、テレビ番組に接しました。中でも、先ほどの沖縄の校長先生の話を思い出したわけではないですが、沖縄戦に関するものに最も多く触れました。私は地歴科の教員なので日本史の授業で何度も取り扱いましたが、あらためて、75年前の沖縄での戦いについて考える機会となりました。「ドキュメンタリー沖縄戦」という映画では、集団自決の様子を語る沖縄戦経験者の証言に引き込まれました。また、「ひめゆりの沖縄戦」という本を読んだのは2度目ですが、生死の境目から生き延びた女学生の語る戦場の様子は生々しいものでした。
 75年前、アメリカ軍が上陸してきた沖縄では、日本本土唯一の地上戦が行われ、当時の沖縄県民の4人に1人が亡くなりました。その中には、戦闘に巻き込まれた住民達や、防衛隊に駆り出された男子中学生、看護隊として、退却する軍と行動を共にした女学生などがいました。今の皆さんの年齢にして、戦場の最前線で命を落とした人がたくさんいました。
 女学生の看護隊の一つに「ひめゆり学徒隊」があります。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女学生が、軍人の負傷者を看護するために編成されました。女学生達は、看護は赤十字の旗の下、弾の飛んでこないところで行うものだと思っていたそうです。しかし、実際は鉄の暴風と言われる砲弾が飛び交う戦場で、不衛生な地下壕や洞窟での過酷な看護となりました。やがて、軍隊とともに島の南部に追い込まれ、多くの死者が出ました。ひめゆりの塔の横にある「ひめゆり平和祈念資料館」へ行ったことがあります。亡くなった女学生一人一人の遺影が並んでいました。若くして死ぬことなど予想だにしていない女学生達の肖像でした。「ひめゆり学徒隊」の生存者は、戦後ほとんどが学校の先生になりました。彼女たちは、戦後数十年、自分だけが生き残ってしまった苦しさから、教え子たちにも経験を語ることはなかったそうです。しかし、真実を伝える必要を感じ、語り部として自らの過酷な経験を語り始め、亡くなった学友や教師への鎮魂のため、自らの手で平和祈念資料館を設立し運営してきました。「ひめゆり学徒隊」の生存者はもう90歳を越えています。体験を語る活動はビデオに代わりましたが、まだ、語り部として、子どもたちの前に立ち続けている方もおられるそうです。しかし、やがては体験を語ることの出来る人はいなくなります。
 この夏放送された「ひめゆりの声を届けたい」というドキュメンタリー番組で見たのですが、平和祈念資料館では、戦後生まれの世代の人たちが、沖縄戦を遠く感じるという中高生に「ひめゆり」の経験した戦争の姿をより鮮明に伝えるために、生存者の意見を聞きながら展示のリニューアルを進めているそうです。例えば、戦場に出る前の女学生達の写真を、硬い表情の集合写真から、教師になることを夢見て笑顔を浮かべる寮生活や部活動の写真に換えて、今と何も変わらぬ女学生の姿を伝えようとしています。今、皆さんが休み時間に見せるような笑顔の写真でした。今皆さんが授業で書いているのと変わらぬ数学のノートも展示されます。元学徒から資料館を引き継ぐ責任の重さを感じながら、戦争を知らない世代が、さらに若い世代へ戦争体験を伝承します。四分の三世紀前の出来事を遠い昔話とは考えてはいけないとあらためて思いました。
 今日の話から、伝えたいことがあります。平和の大切さはもちろんのことです。加えて、平和な時代だからこそ、自分の強い意思で勉強してほしいということです。75年前の沖縄の少年・少女達は戦場へ駆り出されました。同じころ、日本の他の地域でも生徒達は工場などでの勤労に動員され、学校教育は崩壊していました。学校へ行きたくても行けず、勉強したくても出来なかった少年・少女は皆さんと同年代です。皆さんは今年、長期の臨時休業を経験しました。学校へ行けないもどかしさを感じた人も多かったと思います。学校が再開された今、感染症の予防には注意が必要です。しかし、飛び交う砲弾で明日の命、今日の命の危険を心配することはありません。しようと思えば好きなだけ勉強し、学校生活を送ることができます。自分の意思で、自分の将来のために、一生懸命勉強してもらいたいと思います。
 今日は、この話の準備をした上で、校門で皆さんを迎えました。皆さんの顔が少しちがって見えた気がします。今の環境を噛みしめて、高校生活を送ってほしいと思いました。
 2学期は真夏から真冬までの長丁場です。引き続き、新型コロナウイルスの感染症に対して、自分や自分の周りの大切な人のために責任ある行動をとりながら、勉強に、部活動に、進路準備に、この2学期を充実した期間としてください。
 なお、今日紹介した「この世界の片隅に」の原作漫画や、岩波ジュニア新書の「ひめゆりの沖縄戦」は本校の図書館にもあります。興味があれば目を通してみてください。

校長 松本 啓二

<過去の式辞>

休業延長に際して.pdf

休業中にしてほしいこと.pdf

憤せざれば啓せず.pdf

災害.pdf

インプットとアウトプット.pdf

東宇治高校開校の頃 ~PTA開校記念誌から~.pdf

AIにはできないこと.pdf

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