ノート

第1回「心の教科書」(仮称)作成検討委員会 会議概要

 

(1)「心の教育」について

【事務局説明】

 (1)「心の教育」という言葉が公的に使われるようになった経緯 

 (2)「豊かな人間性」の内容について

  (3)「ふるさとのこころ」「ふれあうこころ」について

 

【協 議】

・子ども達に「花と虫たちの共生の世界−もちつもたれつ−」と題して、どの様に花や虫たちが生きているかという話をしたが、よく話の中身を理解して、興味をもち、来年の春夏から野や山に行って確かめてみたいというような感想があり、積極的な反応があった。

 

・「自分の生き方についてしっかり考えてもらうこと」とか、いろんな社会現象として若者の問題として指摘されている「人間関係の持ち方について積極的になってほしい」というような心の部分、自然を含めてわれわれの生活を取り巻いている様々なもの、文化的なものとか、社会的なものなど「豊かな人間性」として上げられているようなものは、表現をかえるにしても同じような形で「心」としてしっかりもってほしい、つないでほしいものになるのではないかと思っている。

 

・今の若い人たちは体験の機会や場が少ない。スポーツとか音楽とか芸術面での体験は豊かになっていると思うが、生活に関する本来の生活を一番支えなければならないものを身に付けていく体験が少なくなってきているのではないか。もっと学びながら心を動かす機会を多くする必要がある。逆にいえば、心を動かす機会が少なくなってきていると思う。

 

・大きな声を出す練習をすると、ほとんどの子は大きな声が出すが、10人に1人ぐらいは声を出せない子がいる。同じものを見ても、多くの子ども達は笑っているのだが、中学生になるとすごく冷めた目で見ている子が中にはいる。それがやはり「心の教育」の必要なところだろうと思う。

 

・家庭の教育力の低下が言われているので、親も一緒にかかわれるような「心の」(仮称)であり、また先生からもその子ども達に言いやすいような議題や課題であったり、みんなが取り組めるような「心の教科書(ノート)」(仮称)ができれば、もう少し対話できるかなという感じがした。「心の教科書(ノート)」(仮称)を開けながら子どもと一緒に会話ができるような感じにしていただきたい。

 

・学校現場では道徳の時間の充実に取り組んでいる。ただし質的なレベルアップ、質的な内容の充実が求められている。子どもの心に響くような道徳の時間を作っていく必要があるという方向で、研究も含めて実践している。

 

・中学1年生のある学級の生徒のお父さんが、文化祭の6日前に職場で急に倒れ、急死された。学級の子ども達は葬儀に参列し、悲しみを共有した。学級のみんなが泣き、その子の肩を叩きながら励ますという姿があった。その学級は、みんなで相談をして、練習してきた劇をやめ、友達が困ったときにはみんな助け合って頑張っていこうというストーリーの脚本を選びなおし、当日には立派に完成させた。道徳的実践力とはこういうことではないのかと思った。身近な人の死に接した経験が、学級の子ども達みんなの心をゆり動かしたと思う。

 

・「心の教育」というのは、本当に子ども達の心を心底ゆり動かすような資料と、そして現実の嬉しい体験、困った体験、一生懸命な体験、悲しい体験、様々な体験とが深く深く関連づいたものになったときに、実践力に結びつく。心揺り動かせられるようなものを作っていかなければならないし、様々な体験を深めていかなければならない。

 

・小学生の5人に1人、中学生の4人に1人は「死にたいと思ったことがある」と、アンケートに答えているという状況がある。

 

・「あなたは、生きていていいのよ」とか「大切な命なのよ」とか、「お父さん、お母さんの子どもで良かったね。」と言ってもらえる、愛の言葉をいっぱい受けて育つ子ども達は、生きていくエネルギーをもっていけるのではないかと思う。

 

・「命を大切に」「心の触れ合いを大切に」というのがスローガンではなく、生活の中で愛をよりよい言葉で、あるいは眼差しで、あるいは体で表現して生きるエネルギーを与えている大人の社会があるのかどうかということを思っている。

 

・「子どもらしい子どもがいなくなった。」とよく言われているが、本当に明るくたくましい元気な子が少なくなったのが悲しい。

 

・「幼児期からの心の教育」という言葉がある。子どもの小さい時から、問題は家の中にあるわけで、生まれてきた子どもが変わってきているのではなく、家庭が変わってきている。社会が変わってきている。だんだん子どもをはぐくむ環境が変わってきている。

 

・企業はモラルの公開が企業の命運にかかわる。学校も企業も一緒ではないかと思う。徹底的にリーダーが教育を体験する。体で表せるまで獲得しなければ「心の教育」ができないのではないか。

 

・企業のフィロソフィ、哲学というものが希薄化した時に、企業の命運が尽きることを、社員に言っている。学校がどういうフィロソフィをもっているか、家庭がどういうフィロソフィをもつか、企業がどういうフィロソフィをもつのかによって、人間の在り方が決まってくるだろうと思っている。

 

・今の子ども達というのは、我々の時代に比べると非常に情報量が多い。そういう情報過多の中で、子どもであっても築くべき社会の中でのいろいろな人の繋がりの関係が、我々の思ってる以上に希薄になっている部分があるのではという気がする。

 

・我々大人は、成長のプロセスにおいていつのまにか理屈ではなく、「人間の生き方はこうなんだ。」ということを教え込まれて、自分で人間としての在り方をいつのまにか見つけてきたと思う。子どもの時には「本当にそんなんしたらあかんのに」と理由なく子ども同士で注意をし合っていた。それが、心の中というか一番根底に基づくものができることになると思う。

 

・正面から、生徒達に向かって語りかける教師の数が少なくなってきている。私の教え子達にも、映像も仕込むな、音楽も仕込むな、自分の言葉で語ることが大事であることを言っている。正面から語ればそれは上手い下手を乗り越えて相手の心に届く、子ども達が受け止めてくれることになると考えている。

 

・子ども達に接する時の、教育的態度の問題であるが、学校でも人間関係、企業でも人間関係、家庭でも人間関係が大切なことは言うまでもない。ただこの間の親と子の関係にしても、学校における教師と生徒の関係にしても、どちらかというと横並びの関係で仲間になろう、友達になろうとしてきたのではないだろうか。企業でもそういう傾向があったのではないかと思う。このような関係も大切だが、その方向だけでいいのだろうか。

 

・今日の社会において最も大事な価値観とか世界観とか文化的伝統などものを伝える垂直の関係が、希薄になってきているのではないか。職人の技能、あるいはその精神原理みたいなものは、師から弟子へという関係でないとなかなか教えきれない。師弟という言葉がタブー視されるようになったせいもある。横の関係ももちろん大事だけれども、垂直の関係、先輩から後輩へ、技術のある者から技術のない者へという関係も大切ではないか。

 

・子ども達と話をすると、「死」に対する不安感を持つ子どもがいないとはいえない。それと全く逆の現象で、テレビゲームで「死」というものは簡単に操作できる。死んだ人間を簡単に生き返らせる事が出来る、こういうゲーム感覚が浸透してきている。

 

・「死」とは何か…。「死」を迎える心構えのようなものを。先程、学校における友達のお父さんの急死をめぐって、物語が作り上げられていく過程で「死」というものが非常に身近なものになっていく。こういう子どもが創り出す活動が教育現場では非常に少なくなってきているのではないかという気がする…。どうも従来の文科省的な道徳教育のルールでは、「死の問題」、もう一つ「宗教の問題」は正面から取り上げていない。これは今回やっぱり突破しなければいけないのではないかと、個人としてそういう意見を持っている。

 

・身体的な感動ということが大切である。子ども達の感動体験をどうして生み出すか、感動する経験をどう豊かにしていくか。知的な刺激を与えるものは増大してきたが、刺激をあまりにも強化すればするほど、また知的刺激の範囲が広がれば広がるほど、感動体験が相対的に少なくなる。今は社会全体が刺激的な社会であると思う。

 

 

 

(2)「心の教科書(ノート)」(仮称)について

【事務局説明】

 (1)「心の教科書(ノート)」(仮称)の基本的な考え方について

 (2)「心の教科書(ノート)」(仮称)のネーミングについて

 

【協 議】

・子ども達の現状を見る中で、二つの側面を感じている。一つは、子ども達は、本当に純粋である。体育大会、文化祭、音楽祭等行事を行うが、そういう時は、実に友達と協力をして、途中でも、完成した時や終わった時というのは本当に涙を流してお互いを褒め称えあい、「良かったな」「良くやったな」と言って喜びを共有し合う。また、勝敗を伴うようなものがあった時にも、相手側チームに対しても、拍手を送るという純粋なところがある。町内のごみ拾いをするとか、アルミ缶を集めて施設に車椅子を送るとか、積極的に多くの子が参加して取り組むという側面が見られる。もう一つの面は、自分自身に対して、自信がもてない、自分をなかなか好きになれない、自分のこと嫌いや、と言う子が存在したり、一人でいると、不安になりどうしても何人かと一緒にいないと、自分がどうしていいかわからない、自尊感情がない、自分を好きになれない子が見られるという側である。

 

・自分の子ども時代よりも、今の子ども達はあまりにも忙し過ぎるのではないか。だから、子ども達が自分のことを見つめるとか、自分を考えるとか、そういう時間がなくなってきているように思う。子ども自身が忙しいと感じるぐらいのことが、今の子ども達に課せられているのではないか。頭の中が疲れ果ててしまうというような状況が、今の小学生達、中学生達、高校生達の中にあると思っている。

 

・若い方の意見を聞きたい。現場で直面している経験や、体験、子ども達が実際どう思って、どういうふうに行動しているかというような事を聞くなかで、初めて中身のあるものを作っていくことが出来る。若い先生達とフリーに議論する機会があればと思う。

 

 

【事務局から】

 この作成検討委員会の元にワーキング部というのがあり、現場の教員、指導主事で構成することとしている。その中には、若い教員も含まれているので、そこで議論しながら、ワーキング部会長の小寺先生の方からこの委員会の中に報告いただきながら、議論を深めていただけたらと考えている。