▼教育相談シリーズ  不登校@ 「未然防止と早期発見のポイント」

『よい子』が登校できない

 親や教師にとっては何の心配もなく、模範的な子として周りの人たちから評価を受けてきた「背のびしているよい子」が、突然、学校に行きにくくなることがよくあります。「背のびしているよい子」は、大人の手のかからない、大人の言うことをよく聞く子です。大人にとって都合がよい子であるとも言えます。周囲の人によく気がつく子で、しっかりしていて、頑張る子であったりします。自分のことは自分でよくできる子なので、親も教師も普段は「気になる子」でないことが多いようです。

 親は、自分がしてきた苦労は我が子にはさせたくない、我が子には一度しかない自分の人生を自分らしい生き方で幸福に生きてほしいと願っています。子どもを襲う不幸は取り払い、できればいい仕事に就かせて苦労せずに生きていってほしい。子を持つ親であればおそらく、そう思うはずです。 
 
 ところが、その我が子が他の子どもよりもペースが遅かったり、モジモジして引っ込み思案であったりすると、我が子を思うあまり、親はそれが自分のことのように心配でたまらなくなってしまうものです。
 
 こういうとき、親の「期待や願い」は、さらに「不安と焦り」にすり替わってしまいます。
 
 子どもが必要としていないのに、ついつい口や手を出したり、時には背中を押したり、叱ったりすることにもなってしまいます。
 このままでは我が子は将来、幸せな人生を送れないのではないか、みんなとうまく一緒にやってはいけないんじゃないかというような不安に襲われてしまうからです。
 「自分がそれほどできた方ではない」「自分はうまく育ててもらえたと思えない」という劣等感が親自身の中にある場合、それはさらに強いエネルギーをもつもので、これが子どもへの期待となって現れると、さらに子どもは小さい背中に「大きい重たい荷物」を背負い込んでしまうことになります。
 
 このことは親も教師も子どものために善かれとしてやっているわけですが、その親や教師の期待や願いによって、子どもの心理的負担が過大になってしまい、疲れ果ててしまう子どももいるということを肝に銘じておくことが必要でしょう。
 
 「よい子」は高性能のアンテナを張り巡らせて、周りの大人達から寄せられている「期待や願い」を常に敏感にキャッチしているのです。
 
 敏感で素直で、心優しい気配りのできる「よい子」であればあるほど、それに押しつぶされやすいことは言うまでもありません。登校できない状態になっても親や教師から登校や学習することを暗に催促されたりします。学校には行かなくてよい、学習はしなくてよいと思っている親や教師はいないわけですから、そうなると余計に子どもは、「親や教師の期待に添えない私はダメな子」と否定的に受け取ってしまい、自分の失敗や挫折感はもう口に出せなくなってしまいます。

 子どもの不登校を未然に防ぎ、早期発見するためには、まず、このような子どものこころの状態を理解することが一つのポイントです。
 子どもに対する親や教師の要求や指示は、自分の中にある期待や願いが言語化されて現れたものです。
 親や教師が子どもに対して要求したり指示したりするとき、それが自分自身のどんな体験から発せられているのか、自分のどのような感情から発せられているのかについて親や教師が自分自身に「こころを巡らせる」ということが大切であると言えます。

 
       <詳しくは「みえますか?子どものサイン」を参照>