「虐待」と「厳しいしつけ」
 「子どもがいつまでたっても泣きやまないので、せっかんした」「親の言うことを聞かないので殴ったり蹴ったりした」と、我が子を殺してしまう事件を新聞記事で目にします。

 これは致死にまで至らしめた子どもへの親の暴力であり、誰の目にも「虐待」であると映ります。

 では、次のような例は「虐待」なのでしょうか、それとも「厳しいしつけ」なのでしょうか。
 
 ある子どもの例です。

 子どもが3才の頃、父親の放蕩癖がもとで離婚した母親は、昼の間、実家の父(祖父)に子どもを預けて仕事に行き始めました。
 「仕事に行かないでずっとお家にいて」とひどく泣きせがむ子どもに「いい子にして待ってて」と手をふりほどいて毎日の仕事に出かけていたといいます。
 あまりにひどく子どもが泣きわめくときは、「なぜわからないの。お母さんは仕事なんだから仕方ないでしょう。聞き分けのあるいい子になってちょうだい。」と何度も強く叱りつけたそうです。
 母親が仕事から帰宅して部屋が散らかっていたりすると、時には手を上げて口うるさくしつけたといいます。
 小学校に入学した子どもは、母親によると後片付けがきちんとでき、あいさつもしっかりできる「聞き分けのよいしつけの行き届いた子」でしたが、どこか暗く寂しげな感じでした。
 子どもは、まもなく食事が喉を通らなくなってしまい、ひどく痩せていきました。学校には全く行けなくなり、家でテレビや漫画をみて過ごすようになりました。


 どこまでが「厳しいしつけ」として許容され、どこからが「虐待」となってしまうのでしょうか。

 その線引きはないのかもしれませんが、「子どものために」と「しつけ」るつもりの親の行為も、そのやり方によっては「虐待」となってしまうこともあるのではないかと思われます。

 「しつけ」なのか「虐待」なのかを見分けるには、その親の行為によって「子どもが長きにわたって心身にダメージを受けたかどうか」にあります。

 この例のように、幼児期、母親のそばにいたいと泣きせがむと「聞き分けのよい子になれ」と強く叱られ、留守の間に散らかすと後片付けをするよう厳しく叱られ続けてきた子どもは、母親の怒りを恐れるあまり、溌剌とした自分の欲求を出せない、暗く寂しげな感じの子どもになってしまったのでしょう。
 
 子どもが母親の「しつけ」から受けたこころのダメージは、相当深いものだったと思われます。

 どれほど「厳しいしつけ」であったとしても、「しつけ」という限りは親の怒りは伴わないものであり、親の身勝手さにおいて湧き起こる感情から発せられる言葉が継続的反復的に与えられるとすれば、それは「虐待」と言えるのではないかと思われます。

 
                                        次へ
                                    Indexに戻る