京都府教育庁指導部文化財保護課  Cultural Properties Division, Kyoto Prefectural Board of Education
 
文化財建造物の保存修理

 修理の歴史

 

明治時代以前

 古代には、朝廷関係の建造物などの建設や修理は官の営繕組織があり、都の建設や官寺の造営にはその時に応じて臨時の造営組織が設けられました。貴族や有力社寺の造営においても官の営繕組織に属する者たちが設計を担当することがありました。

 中世には、幕府や貴族、さらに有力社寺には専属の工匠たちがいて、建設工事を担当していました。

 江戸時代になると、社寺の造営や修理には幕府への届け出が必要になり、それ以前にあった建物の規模を超えないという方針のもとに実施されていました。



中世の修理の風景 イメージ図

下から、墨壺を用いた墨付け、「割りくさび」を用いた木材の分割、「やりかんな」を用いた板材の仕上げ、手斧(ちょうな)による板材の加工の状況です。
 

明治時代以降

 文化財保護を目的とした近代の最初の法律として、明治30年(1897)に「古社寺保存法」が公布されました。保存行政は内務省社寺局が担当し、この法律によって明治30年12月28日に「特別保護建造物」、今の重要文化財の指定が開始されました。

 この第1回指定は、京都の北野神社本殿(現在の北野天満宮本殿・石の間・拝殿及び楽の間)をはじめ、京都府内のもの23件、大阪府1件、奈良県18件、滋賀県2件の合計44件でした。

 ところで、「古社寺保存法」公布以前の明治13年から古社寺の維持のために保存金が交付されていましたが、「保存法」公布以降は保存金による修理はすべて府県に執行を委託することが定められ、京都府と奈良県には地方技師が配置されました。これが、現在の国指定文化財建造物の保存修理事業を京都府が担当する契機です。

 このとき、大徳寺唐門を解体修理として実施したのが最初で、続いて清水寺本堂、三千院の往生極楽院阿弥陀堂の解体修理を実施しました。
 

 
明治修理前の清水寺本堂
 
明治修理前の清水寺本堂を撮影した写真です。舞台の床板や屋根が破損していたことがわかります。
 

現在の体制

 現在では、国の補助を受けて行なわれる国指定文化財の保存修理は、文化財所有者からの委託を受けて京都府教育庁指導部文化財保護課が行なっています。文化財保護課には、保存修理を進めるために、文化財建造物の修復を専門とする技術職員や、嘱託員大工・建具工が所属しています。

 修理は根本修理と維持修理に区分され、根本修理の場合には、技術職員が修理現場に常駐して、詳細な調査の実施、修理方針の検討、工事施工の設計及び監理、そして記録の作成をおこなっています。



作業中の嘱託員大工

伝統的な木造の建造物で根本修理を行なっている現場の一部では、当課の嘱託員である大工・建具工が木工事・建具工事などを行なっています。