京都府教育庁指導部文化財保護課  Cultural Properties Division, Kyoto Prefectural Board of Education
 

恭仁宮跡第102次発掘調査を実施しました

今回の発掘調査では、朝堂院区画北東隅の柱穴を検出し、朝堂院区画の規模が確定するなどの調査成果がありました。
この成果を受け、恭仁宮の主要区画の規模がほぼ確定しました。


今年度の発掘調査の成果について、資料を公開します。
令和3年度発掘調査速報パンフレット(1,240KB).pdf

 

なお、現地説明会については、新型コロナウイルス感染症防止のため開催いたしません。

【発掘調査の様子】
発掘調査では、まず、重機を使って土を掘っていきます。
担当者は、土の変化を見極めながら、慎重に作業を進めます。
重機掘削

南の調査区では、朝堂院の掘立柱塀の跡が見つかりました。
恭仁宮跡で見つかる柱の痕跡の多くは、1辺が1m以上もある、とても大きなものです。
柱を抜き取った跡に、周囲から石が入り込んでいる様子がよくわかります。
柱跡2



今年度の調査では、朝堂院の掘立柱塀の北東隅が見つかりました。
人が立っている部分が、もともと柱が建てられていた場所です。
柱跡



朝堂院の掘立柱塀の北東隅のイメージ図です。
イメージ図


調査では屋根を飾った瓦や、当時使用されていた大きな甕(かめ)などが見つかりました、
瓦
須恵器
 

恭仁宮跡の発掘調査

 

恭仁宮跡について


(西上空からみた恭仁宮跡)
 
                     
 (恭仁宮跡復元図) 

 ここは京都府の南の端、木津川市加茂町の瓶原(みかのはら)と呼ばれる地域です。美しい田園風景が広がり、秋にはコスモスが咲き競います。今は静かなこの地ですが、かつては激動の歴史の中心舞台になったことがありました。


 天平12年(西暦740年)、当時の聖武天皇は、平城京から恭仁宮へ都を移すことを決めました。恭仁宮は70年に及んだ平城京の時代(奈良時代)に一時期都となり、首都として存在していました。


 恭仁宮がどのような姿で実在したのかは、長い間にわからなくなっていましたが、京都府教育委員会と旧加茂町教育委員会(現木津川市教育委員会)が昭和48年度から進めてきた発掘調査によって、徐々に当時の姿を具体的に復元できるようになってきました。

 

交通案内


鉄道、バス利用の場合

JR大和路線 加茂駅から徒歩約30分 約2Km

京都駅→JR奈良線(快速38分)→木津駅→JR関西本線(大和路線)(普通6分)→加茂駅→徒歩(約30分)→恭仁宮跡



車利用の場合

国道24号「上狛四丁町」から国道163号を東へ約5Km