京都府教育庁指導部文化財保護課  Cultural Properties Division, Kyoto Prefectural Board of Education
 

恭仁宮跡の発掘調査

 

恭仁宮跡発掘調査の現地説明会を開催しました

【平成30年度発掘調査速報パンフレット(クリックしてダウンロード)】.pdf

 平成30年度の現地説明会を、1月19日(土)に開催しました。晴天のもと、地元の皆様をはじめ約130名の方にご参加いただきました。

 改めまして現地にお越しいただきました皆様に御礼申し上げます。

 なお、これまでに出土した代表的な遺物は、府立山城郷土資料館に展示しています。


大極殿院回廊の調査


大極殿院南面区画施設の調査

 
調査の説明風景1トレンチ

調査地の説明風景

4トレンチ説明風景と柱イメージ 
調査地の説明風景と柱のイメージ
 大極殿院は、宮の中心である大極殿が建ち、重要な儀礼が行われた場所です。大極殿院を取り囲む築地回廊は、築地塀の両側に通路を設ける大規模なものです。しかし、これまでに明確な南辺の痕跡が見つかっておらず、規模の確定が課題となっていました。
 今回の調査では、これまでの調査で回廊を想定している場所に調査区を3箇所設けました。時期や性格が不明の遺構が数基見つかりましたが、回廊の痕跡は確認できませんでした。

従来の想定よりも南側で、大極殿院の南面区画施設と考えられる掘立柱塀をはじめて検出しました。また、大極殿院南門に相当する柱跡も検出しました。

 古代の宮では大極殿院の南面区画施設は重要な施設ですが、恭仁宮では、格式の高い築地回廊ではなく、簡素な掘立柱塀だったと考えられます。また、大極殿院の南面には大規模な南門があるのが一般的ですが、恭仁宮の大極殿院南門は控え柱を持たない簡素な作りだったようです。
 

恭仁宮跡について


(西上空からみた恭仁宮跡)
 
                     
 (恭仁宮跡復元図) 

 ここは京都府の南の端、木津川市加茂町の瓶原(みかのはら)と呼ばれる地域です。美しい田園風景が広がり、秋にはコスモスが咲き競います。今は静かなこの地ですが、かつては激動の歴史の中心舞台になったことがありました。


 天平12年(西暦740年)、当時の聖武天皇は、平城京から恭仁宮へ都を移すことを決めました。恭仁宮は70年に及んだ平城京の時代(奈良時代)に一時期都となり、首都として存在していました。


 恭仁宮がどのような姿で実在したのかは、長い間にわからなくなっていましたが、京都府教育委員会と旧加茂町教育委員会(現木津川市教育委員会)が昭和48年度から進めてきた発掘調査によって、徐々に当時の姿を具体的に復元できるようになってきました。

 

交通案内


鉄道、バス利用の場合

JR大和路線 加茂駅から徒歩約30分 約2Km

京都駅→JR奈良線(快速38分)→木津駅→JR関西本線(大和路線)(普通6分)→加茂駅→徒歩(約30分)→恭仁宮跡



車利用の場合

国道24号「上狛四丁町」から国道163号を東へ約5Km