京都府教育庁指導部文化財保護課  Cultural Properties Division, Kyoto Prefectural Board of Education
 

恭仁宮跡第101次発掘調査を実施しました

今回の発掘調査では、朝堂院区画南東隅の柱穴を検出し、朝堂院区画の規模が確定するなどの調査成果がありました。

発掘調査の成果について、資料を公開します。

 

【令和2年度発掘調査成果資料(クリックしてダウンロード)】.pdf

 

なお、現地説明会については、新型コロナウイルス感染症防止のため開催いたしません。


朝堂院区画北辺中央部の調査

     朝堂院区画南東部の調査
  
(上:調査区を南から眺めた写真、

下:遺構復元イメージ図)

朝堂院区画の北門が想定される位置に調査区を設定しました。調査では柱穴2基を検出し、平成30年度調査で検出した東側の柱穴とは約10.8mの間隔があることがわかりました。ここに北門が存在したならば、約3.6m×3間の規模の門であった可能性が高くなりました。

 

(上:調査区を東から眺めた写真、

下:遺構復元イメージ図)

朝堂院区画の南東隅の構造を解明するために設定した調査区です。朝堂院区画の南東隅の柱穴は朝集院区画の北東隅から3本目の柱に接続していることがわかり、南西隅と同様の構造であることが確認されました。今回の調査で朝堂院区画の四隅の柱穴がすべて確認され、その規模が確定しました。

 

恭仁宮跡の発掘調査

 

恭仁宮跡について


(西上空からみた恭仁宮跡)
 
                     
 (恭仁宮跡復元図) 

 ここは京都府の南の端、木津川市加茂町の瓶原(みかのはら)と呼ばれる地域です。美しい田園風景が広がり、秋にはコスモスが咲き競います。今は静かなこの地ですが、かつては激動の歴史の中心舞台になったことがありました。


 天平12年(西暦740年)、当時の聖武天皇は、平城京から恭仁宮へ都を移すことを決めました。恭仁宮は70年に及んだ平城京の時代(奈良時代)に一時期都となり、首都として存在していました。


 恭仁宮がどのような姿で実在したのかは、長い間にわからなくなっていましたが、京都府教育委員会と旧加茂町教育委員会(現木津川市教育委員会)が昭和48年度から進めてきた発掘調査によって、徐々に当時の姿を具体的に復元できるようになってきました。

 

交通案内


鉄道、バス利用の場合

JR大和路線 加茂駅から徒歩約30分 約2Km

京都駅→JR奈良線(快速38分)→木津駅→JR関西本線(大和路線)(普通6分)→加茂駅→徒歩(約30分)→恭仁宮跡



車利用の場合

国道24号「上狛四丁町」から国道163号を東へ約5Km