京都府教育庁指導部文化財保護課  Cultural Properties Division, Kyoto Prefectural Board of Education
 

恭仁宮跡の発掘調査

 

平成28年度の恭仁宮跡発掘調査の現地説明会を開催しました

平成28年度の恭仁宮跡発掘調査の現地説明会

【平成28年度現地説明会資料(クリックしてダウンロード)】

 

 平成28年度の現地説明会を、12月3日(土)に開催しました。晴天のもと、地元の皆様をはじめ約130名の方にご参加いただきました。

 改めまして現地にお越しいただきました皆様に御礼申し上げます。

 なお、これまでに出土した代表的な遺物は、府立山城郷土資料館の常設展に展示しています。

朝集院区画施設復元イメージ

朝集院区画塀復元イメージ


 
朝集院内の調査

 
朝集院区画施設の調査

第1調査区説明風景

調査地の説明風景
朝集院区画施設説明風景と柱のイメージ

調査地の説明風景と柱のイメージ
  朝集院は、官人たちが勤務前の早朝に集合し、朝堂院南門が開くまで待機した空間とされています。他の宮跡の多くでは、朝集院の中で左右一対の「朝集堂」と称される建物が見つかっていますが、恭仁宮跡ではこれまで未検出となっています。
 今回の調査では、朝集院の内部構造を確認するため、7箇所の調査区を設定して調査を行いました。一部の調査区では、恭仁宮造営に伴う整地層を検出しました。また、近世の小溝や小土坑をいくつか検出しました。
  朝集院区画施設の確認のために設定した4箇所の調査区では、朝集院東辺区画塀と考えられる柱穴列と柱穴列に平行する溝を検出しました。区画塀は、周辺から瓦が出土していないので、屋根が板葺きの掘立柱塀であった可能性が高いと考えられます。
 今回の調査では朝集院区画塀の北東隅の柱を検出しました。過去の調査で他の隅は見つかっているため、今回の調査で朝集院の四隅の位置が確定しました。
 我が国の宮跡で朝集院の四隅が正確に判明したのは、今回が初の事例となります。
 

恭仁宮跡について


(西上空からみた恭仁宮跡)
 
                     
 (恭仁宮跡復元図) 

 ここは京都府の南の端、木津川市加茂町の瓶原(みかのはら)と呼ばれる地域です。美しい田園風景が広がり、秋にはコスモスが咲き競います。今は静かなこの地ですが、かつては激動の歴史の中心舞台になったことがありました。


 天平12年(西暦740年)、当時の聖武天皇は、平城京から恭仁宮へ都を移すことを決めました。恭仁宮は70年に及んだ平城京の時代(奈良時代)に一時期都となり、首都として存在していました。


 恭仁宮がどのような姿で実在したのかは、長い間にわからなくなっていましたが、京都府教育委員会と旧加茂町教育委員会(現木津川市教育委員会)が昭和48年度から進めてきた発掘調査によって、徐々に当時の姿を具体的に復元できるようになってきました。

 

交通案内


鉄道、バス利用の場合

JR大和路線 加茂駅から徒歩約30分 約2Km

京都駅→JR奈良線(快速38分)→木津駅→JR関西本線(大和路線)(普通6分)→加茂駅→徒歩(約30分)→恭仁宮跡



車利用の場合

国道24号「上狛四丁町」から国道163号を東へ約5Km