
(西上空からみた恭仁宮跡)

(恭仁宮跡復元図)
ここは京都府の南の端、木津川市加茂町の瓶原(みかのはら)と呼ばれる地域です。美しい田園風景が広がり、秋にはコスモスが咲き競います。今は静かなこの地ですが、かつては激動の歴史の中心舞台になったことがありました。
天平12年(西暦740年)、当時の聖武天皇は、平城京から恭仁宮へ都を移すことを決めました。恭仁宮は70年に及んだ平城京の時代(奈良時代)に一時期都となり、首都として存在していました。
恭仁宮がどのような姿で実在したのかは、長い間にわからなくなっていましたが、京都府教育委員会と旧加茂町教育委員会(現木津川市教育委員会)が昭和48年度から進めてきた発掘調査によって、徐々に当時の姿を具体的に復元できるようになってきました。