京都府教育庁指導部文化財保護課  Cultural Properties Division, Kyoto Prefectural Board of Education
 

恭仁宮跡の発掘調査

 

恭仁宮跡現地説明会を開催しました


【令和元年度発掘調査速報資料(クリックしてダウンロード)】.pdf


 令和元年度の現地説明会を、12月7日(土)に開催しました。晴天のもと、地元の皆様をはじめ約100名の方にご参加いただきました。

 改めまして現地にお越しいただきました皆様に御礼申し上げます。
 なお、これまでに出土した代表的な遺物は、府立山城郷土資料館に展示しています。

朝堂院内の調査
朝堂院北辺区画施設の調査
 調査地と説明風景
調査地と説明風景
 調査地の説明風景
調査地の説明風景
  朝堂院中央部に調査区を2箇所設定しました。朝堂院の中央南端では天平1314 年の元日朝賀に関わる宝幢(幢旗)遺構を検出していることから、この調査区では、『続日本紀』に記載のある「四阿殿」(仮設の大極殿)の検出を目指しました。しかし、どちらの調査区からも建物跡は検出できませんでした。遺構面は、朝堂院南西で検出した大型掘立柱建物の柱穴を覆っていたのと同じ洪水由来の砂層に覆われていることからみて、本調査地周辺に四阿殿が建つ可能性は極めて低いといえます。 朝堂院の北西隅と北辺想定地に調査区を2箇所設定しました。ほぼ想定どおりの位置から約3m(10尺)間隔で立ち並ぶ柱列を検出しました。これらは、朝堂院の北辺を区画する掘立柱塀の柱穴となります。遺構の残存状況は良好で、掘立柱塀の両側に並行する2条の溝も検出できました。また、区画施設北西隅の柱穴付近は朝堂院北辺の中で最も遺構面が低くなっており、雨水などを排水したとみられる溝105 を設けています。溝105 からは、恭仁宮造営時に廃棄された可能性の高い加工痕跡のある木材片が多数出土しています。 



 

恭仁宮跡について


(西上空からみた恭仁宮跡)
 
                     
 (恭仁宮跡復元図) 

 ここは京都府の南の端、木津川市加茂町の瓶原(みかのはら)と呼ばれる地域です。美しい田園風景が広がり、秋にはコスモスが咲き競います。今は静かなこの地ですが、かつては激動の歴史の中心舞台になったことがありました。


 天平12年(西暦740年)、当時の聖武天皇は、平城京から恭仁宮へ都を移すことを決めました。恭仁宮は70年に及んだ平城京の時代(奈良時代)に一時期都となり、首都として存在していました。


 恭仁宮がどのような姿で実在したのかは、長い間にわからなくなっていましたが、京都府教育委員会と旧加茂町教育委員会(現木津川市教育委員会)が昭和48年度から進めてきた発掘調査によって、徐々に当時の姿を具体的に復元できるようになってきました。

 

交通案内


鉄道、バス利用の場合

JR大和路線 加茂駅から徒歩約30分 約2Km

京都駅→JR奈良線(快速38分)→木津駅→JR関西本線(大和路線)(普通6分)→加茂駅→徒歩(約30分)→恭仁宮跡



車利用の場合

国道24号「上狛四丁町」から国道163号を東へ約5Km