京都府教育庁指導部文化財保護課  Cultural Properties Division, Kyoto Prefectural Board of Education
 

恭仁宮跡の発掘調査

 

恭仁宮跡発掘調査の現地説明会を開催しました

恭仁宮跡発掘調査の現地説明会を開催しました

 

 平成29年度の現地説明会を、12月9日(土)に開催しました。晴天のもと、地元の皆様をはじめ約180名の方にご参加いただきました。

 改めまして現地にお越しいただきました皆様に御礼申し上げます。

 なお、これまでに出土した代表的な遺物は、府立山城郷土資料館に展示しています。

 

 

大極殿院の調査

 

朝堂院区画施設の調査

 恭仁調査区1
調査地の説明風景
 恭仁調査区3
調査地の説明風景と柱のイメージ
 

大極殿院は、宮の中心である大極殿が建ち、重要な儀礼が行われた場所です。大極殿院を取り囲む回廊は、複廊と呼ばれる築地塀の両側に通路を設ける大規模なものです。しかし、これまでに明確な南辺の痕跡が見つかっておらず、規模の確定が課題となっていました。今回の調査では、これまでの調査で回廊と大極殿院南門を想定している場所に調査区を2箇所設けました。時期や性格が不明の遺構が数基見つかりましたが、回廊や大極殿院南門の明確な痕跡は確認できませんでした。

 

朝堂院は、高官が執務や儀礼を行う場所です。これまでの調査で、大規模な建物や元日の儀式に用いる宝幢(幢旗)遺構が見つかっています。今回の調査では、朝堂院を区画する塀の北端の可能性の高い柱穴が見つかりました。これによって朝堂院の南北規模が判明するだけでなく、朝堂院の北側に位置する大極殿院の規模がこれまでの想定よりも大きくなる可能性が出てきました。その場合、大極殿院の形状は平城宮第一次大極殿院と類似した南北に長い形状となります。

 

恭仁宮跡について


(西上空からみた恭仁宮跡)
 
                     
 (恭仁宮跡復元図) 

 ここは京都府の南の端、木津川市加茂町の瓶原(みかのはら)と呼ばれる地域です。美しい田園風景が広がり、秋にはコスモスが咲き競います。今は静かなこの地ですが、かつては激動の歴史の中心舞台になったことがありました。


 天平12年(西暦740年)、当時の聖武天皇は、平城京から恭仁宮へ都を移すことを決めました。恭仁宮は70年に及んだ平城京の時代(奈良時代)に一時期都となり、首都として存在していました。


 恭仁宮がどのような姿で実在したのかは、長い間にわからなくなっていましたが、京都府教育委員会と旧加茂町教育委員会(現木津川市教育委員会)が昭和48年度から進めてきた発掘調査によって、徐々に当時の姿を具体的に復元できるようになってきました。

 

交通案内


鉄道、バス利用の場合

JR大和路線 加茂駅から徒歩約30分 約2Km

京都駅→JR奈良線(快速38分)→木津駅→JR関西本線(大和路線)(普通6分)→加茂駅→徒歩(約30分)→恭仁宮跡



車利用の場合

国道24号「上狛四丁町」から国道163号を東へ約5Km