平成27年度の恭仁宮跡発掘調査の現地説明会


 平成27年度の現地説明会を、1010日(土)に開催しました。地元の皆様をはじめ約330名の方にご参加いただきました。

 改めまして現地にお越しいただきました皆様に御礼申し上げます。

 なお、これまでに出土した代表的な遺物などは、府立山城郷土資料館において常設展示しています。

宝幢(幢旗)遺構復元イメージ


宝幢(幢旗)遺構復元イメージ


 宝幢(幢旗)遺構の調査
 朝集殿院の調査
 宝幢(幢旗)遺構の調査地 朝集殿地区の調査地

第4トレンチで、天平13(741)14(742)年の元日朝賀の儀式に係る遺構(7基の宝幢(幢旗)を樹立したうちの3基)を検出しました。奈良時代の歴史を記す『続日本紀』には、元日朝賀の儀式の記事が大宝元(701)年から記載されていますが、発掘調査で検出された例としては日本最古です。

*宝幢(幢旗):天皇の即位や元日朝賀の儀式に立てられる装飾を施した旗竿

*元日朝賀:正月元日に天皇が臣下の賀を受ける儀礼

朝集殿院の内部構造を解明するために、調査区を3箇所設定しました。

第1トレンチでは朝集殿院の東辺掘立柱塀の柱穴を検出しました。第2トレンチでは複数の柱穴を検出しました。第3トレンチでは、恭仁宮期の大規模な整地層が見つかりました。

 朝集殿院の内部構造の解明には今後も調査を続けていく予定です。


 

恭仁宮跡について

 
    
 (西上空からみた恭仁宮跡)                    (恭仁宮跡復元図)    
 
 
 ここは京都府の南の端、木津川市加茂町の瓶原(みかのはら)と呼ばれる地域です。美しい田園風景が広がり、秋にはコスモスが咲き競います。今は静かなこの地ですが、かつては激動の歴史の中心舞台になったことがありました。

 天平12年(西暦740年)、当時の聖武天皇は、平城京から恭仁宮へ都を移すことを決めました。恭仁宮は70年に及んだ平城京の時代(奈良時代)に一時期都となり、首都として存在していました。

 恭仁宮がどのような姿で実在したのかは、長い間にわからなくなっていましたが、京都府教育委員会と旧加茂町教育委員会(現木津川市教育委員会)が昭和48年度から進めてきた発掘調査によって、徐々に当時の姿を具体的に復元できるようになってきました。

 

 

交通案内

鉄道、バス利用の場合

  JR大和路線 加茂駅から徒歩約30分 約2Km

車利用の場合

  国道24号「上狛四丁町」から国道163号を東へ約5Km

交通案内

京都駅→JR奈良線(快速38分)木津駅→JR関西本線(大和路線)(普通6分)加茂駅徒歩(約30分)恭仁宮跡